EXPO '70  オーストラリア パンフレット EXPO '70 パンフレットへ戻る
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フィルム
宙吊りの円型屋根の下にお並び下さい。オーストラリアのコモンウエルス・フィルム・ユニットの製作した映画による、壮観なショーが始まります。映画は屋根の内側にある9枚のスクリーンに投影されます。急速に変る画面、アクションの連続、音響と色彩の効果的な組み合わせで、印象的に、オーストラリアの人々、生活、文化、そして風景が写しだされます。
展示トンネル
オーストラリア館のおもな展示は、一段低くなった庭園に設けられた、大きな円筒展示場の中で行なわれます。そして展示物は、円筒に取り付けられた出窓の中に飾ってあります。円筒の中の動く歩道に乗って、ゆっくりご覧下さい。あなたのまわりには、ドラマティックな展示の世界が繰り広げられます。照明、色彩、音響、アクションが一体となって、今日のオーストラリアのさまざまな面を、あなたにご紹介いたします。
オーストラリアの庭園
広場から見おろす庭園は、オーストラリアの対照的な二つの風景を表わしております。つまり一つは、がい骨のような砂漠の木が、乾いた赤土と岩の聞からのびあがり、“奥地”のようしゃない日照りと、人っ子一人いない寂しさに立ち向う気がまえを見せている風景です。そしてもう一つは、オーストラリアの肥よくな海岸地帯の、岩や、木のようなシダや、亜熱帯植物の間をぬって、絶え間なく流れ落ちているみずみずしい滝の風景です。
季節の催し
地下のサロンでは、二週間ごとに、新しい催し物が行なわれます。ここには、ウールのカーペットが敷きつめられ、オーストラリアの色彩豊かなオウムの色が再現されております。催しのまず最初は、産業写真展から始まります。そして次に、オーストラリアの風景、原住民の民芸品と風俗、パプア・ニューギニアの開発、建築と都市計画、工業デザイン、切手と貨幣、オーストラリアの宝石などの展示が続きます。そして更に、ファッション・ショーやモデルのパレードによる、新進デザイナーの作品展示がそれに続きます。そのほか、青少年の活動、教育、および日本とオーストラリアの関係を表わした展示があります。
オーストラリア広場に、一きわ目立つ風変りな建物は、高さ約43メートルで“スカイフック”と呼ばれる鋼鉄製の塔です。一見北斎に画かれた大波を思わせるこの塔は、先端から直径53メートル、重さ200トンの金属製の丸屋根をつっています。内部は主としてオーストラリア館の事務所に使われています。屋根の下は展示場へ入るため、順番を待つ入場者の待合場となっています。展示場は全部地下にあるので、入場者はここからら線状の通路を通って入口へと進みます。そこからは2本の動く歩道に乗って、展示トンネルの中をゆっくりとご覧下さい。トンネルを抜けたところはご案内とおみやげ売場になっています。すぐ隣りのサロンでは、2週間ごとに、オーストラリアの生活の様子を示す新しい催しがつぎつぎと行われます。
 
オーストラリアパンフレット3,4
オーストラリアパンフレット5
 今まさに人類は、新しく、かつ驚くべき医学上の発見の時代にさしかかつております。オーストラリア館の“展示トンネル”をご覧下さい。初めにそこでは、オーストラリアの医学者たちの、人類の健康と福祉に貢献す
る仕事ぷりのいくつかを紹介しております。
 まず最初の展示は、荒々しくも美しい砂漠の風景を、象徴的に描写したものです。これは私たちに、オーストラリアの歴史が、地質学的に古い土地、世界最古の大陸を背景にしていることを、思い出させてくれます。これに添えて展示される有史以前の頭がい骨は、その大陸の古さを象徴的に示すものです。“展示トンネル”に従って先へ進みましょう。展示される頭がい骨は20世紀の人類のものに変ります。それにあわせて、首都キャンベラのオーストラリア国立大学ジョン・カーティン医学研究所のP・ビショップ教授、ならびにそのグループによる、人間頭脳の構造研究が展示されております。ここでは、網膜でとらえられた印象が、どのようにして微細な電気衝動を起こし、脳に伝達され、心象として描きだされるかを示しております。
 次の一連の展示は、メルボルンにある世界的に有名な、ウォルター・アンド・エリザ・ホール研究所の仕事を紹介しております。ノーベル賞を受けたマクファーレン・バーネット卿は、ここでビールスの研究に先べんをつけ、人体の免疫組織の基礎的研究を始めました。この研究は、のちに、臓器移植の成功を導きだしたものです。また、グスターフ・ノッサル博士ならびにそのグループも、ここで、人体を保護する器官が腋の下のリンパ腺であることを確認しました。医師が注射する無害ビールスが、ここで抗体となつて、同種類の有害なビールスが体内に侵入してきたとき、これを撃退するのです。臓器移植に耐える体内の免疫組織をつくる新しい方法も、ここで研究されております。
 次の展示では、場面は変って、力強いテニスの打ち合いをご覧に入れます。テニスは私たちの国技の一つです。何万という人々が、リクリエーションに、あるいは、デビスカップ戦にいたる種々の競技会で、技をきそいあっております。そのほか壁に展示された映像のモザイクは、オーストラリアで流行している他の戸外リクリエーション、フットボール、クリケット、陸上競技、水泳、スキー、ヨットを紹介しております。オーストラリアで
は、健全な野外スポーツのための、すばらしい施設が一年を通じて一般に開放されております。
 
オーストラリアパンフレット6人と自然
 ここでの展示は、オーストラリア人が、どのようにして自分たちをとりまく自然環境をとらえ、地球や宇宙についての人類の知識に寄与しているかを示しております。
 この部分のまず初めの展示では、新しい地質調査技術によって、オーストラリアが、最も荒れはてた地域に埋蔵されている、膨大な鉱物資源を発見した有様が示されています。この優れた技術で、大量の鉄鉱石、ボーキサイト鉱床、ニッケルおよび他の鉱物が発見され、海中油田や天然ガス地帯もつきとめられたのです。
 そして次の展示では、オーストラリアがいかにして水不足、干ばつ、不毛地帯の問題と取り組んでいるかが示されます。オーストラリアには、肥よくな地域もありますが、国土の3分の2は完全な乾燥または半乾燥地域です。そのための大型ダムが次々と建設されております。例えば、オーストラリア東南部のスノウィー・マウンテン計画は、世界でも最も大きな工事の一つになっております。この計画は、干上った内陸部の河川に、水を呼び戻すための、17の主要ダムと9つの水力発電所を含む大総合開発事業です。
 そして次に、気象、天文関係の展示が繰り広げられます。まずオーストラリアは、人工降雨のための雨雲を作る技術の先駆者です。オーストラリアの土壌学者は、広大なやせ地に、失われているミネラルをわずかに与えることによって、耕地とする方法を発見しました。
 次には世界気象地図によって、新しい地球上の気象観測組織がわかるようになっている展示があります。メルボルン、ワシントン、モスクワには電子計算機による通信組織があって、主要な資料収集センターになっております。そこでは、陸や海、そして衛星からの通信によって、世界の天気図を作り、世界各地に配布しております。
 またオーストラリアの天文学者は、北半球の空では見えない星を研究することができます。南半球の天球図の下にある展示をこ覧ください。ここでは外宇宙からのラジオ信号の研究によって、遠い宇宙のはてにある、星のようなラジオ源、クワザールの存在をいかに解きあかしたかの道すじを知ることができます。クワザールを最初に発見した、ニュー・サウス・ウェールズのパークス・ラジオ・テレスコープのモデルが展示されております。そしてさらにもう一つ、同州に据え付けられる、世界第2の大ききをもつ150インチ・テレスコープのモデルも陳列されております。
 
オーストラリアパンフレット7人とその成果
 この第3部の展示は、現代都市の人工的環境における、オーストラリア人の生活と、技術開発をテーマにしております。
 まず多くの若い人々に好まれている、オーストラリアの代表的な家の中に入ってみましょう。そのインテリアは、すべてオーストラリア製品です。オーストラリアでは、全世帯の75パーセントが自分の家を持っており、これはどの国よりも高い比率になっております。オーストラリアの代表的なすまいは、芝生の庭を持ち、5つの個室からなっております。多くの人が独立した自分の家を持っているので、都市の住宅地は郊外にまで広がっております。そのために、人口250万ちょっとのシドニーが、東京より広い地域を占めているのです。
 しかし、オーストラリアの全ての人が、独立家屋に住んでいるわけではありません。都市の開発で、アパートの建設が目立ってふえております。展示の一部として、キャンベラに近いベルコネン市という、完全な都市計画に基づいた建設中の新しい都市が示きれておりますが、ここでは、高層アパートや事務所向きのビルが、人造湖の岸辺に、統一された建築美を誇ることになるでしょう。
 次に輸送に関するものとして、航空の歴史が展示されております。オーストラリアの航空の歴史は、ライト兄弟に先き立つこと10年余り、1880年代に、シドニーの発明家ローレンス・ハーグレーブの航空理論に基づいて、先駆者的研究と実験を行なったことに始まります。オーストラリアの人々は、多くの国々に先がけて航空への関心は深かったのです。定期航空サービスは、1919年に内陸の地域に始まり、航空路は急速に全国に広がりました。国際航空会社カンタスによって、航空路は全世界にものぴております。また、内陸の住民のために、航空ドクターのサービスを開発して、今やう注目を集めております。
 そして次に、オーストラリアの自動車産業の状況が展示されております。関連産業を含む自動車産業は、オーストラリアにおける最大の単一製造工業になっております。その最も高度な製品の一つで、ここに自信をもって展示したのは、多くの世界的レースで優勝した、有名なオーストラリアのレプコ・ブラバム・レーシング・カーです。
 そしてこの展示テーマの最後に、1950年代と1960年代のわが産業革命の別の一面を示すために、オーストラリアの造船業も紹介しております。
 
オーストラリアパンフレット8人と人
 この部門の展示は、芸術、教育に、オーストラリアがどのように貢献しているか、また、人と人、民族と民族のよりよき理解のために、オーストラリアが果している役割を示しております。芸術に対する大きな関心は、オーストラリアの社会が成熟しつつあることを反映しております。これらの展示の中に、オーストラリアの文化面における、重要なそして新しい、いくつかの動きを見ることができます。
 目下シドニー港の海べりに建設中の、壮大なシドニー・オペラハウスが展示されます。その外観は、ヨットが帆にいっぱいの風をはらんで湾内を快走する姿を思わせます。それはコンサート、オペラ、ドラマ、バレー、室内楽および映画のための、6つのホールを備えることになっております。
 次に、キャンベラに建設される国立美術館の模型、およぴ、メルボルン・アートセンターの一部が展示されています。これは、ヨーロッパの古典美術とアジアの美術品を数多く集めた、メルボルンの新しい憩いの場所です。その所蔵品の中から、いくつかの宝物、そして近代オーストラリア画家の作品を、ここに陳例いたしました。
 オーストラリアの現代画家は、ヨーロッパの古い観念から脱却しました。シドニー・ノーラン、ラッセル・ドライズデール、アルバート・タッカーおよぴアーサー・ボイドなどの神話めいた風景画は、海外で好評を博しま
した。それは、オーストラリアの現代画家が、北半球の画家とは全く異った画風を有するからです。このような自立の精神、強烈な個性に対する探究は、他の芸術においても見いだされます。
 こうした展示に続いて、1962年創立以来、3回にわたって世界公演流行をした、若いオーストラリア・バレー団の活躍の一端をご紹介します。
 そしてさらに場面を変えて、次には、オーストラリアの教育の様子を展示しております。ここでは、奥地の子供たちのための、応答式ラジオによる通信教育から、大学教育にいたるまでの様子が、手にとるようにお分りいただけると思います。もう一つ、次に、最近の友好的な日豪関係の高まりを示し、両国間の緊密な結びつきを強調する展示をお目にかけます。展示トンネルの終りに近づくと、今はほとんど忘れさられた時代、オーストラリアで映画製作が盛んだった時代を、フラッシュバックでご紹介します。今世紀の初めに、オーストラリアで製作された、世界で初めての長編映画や、前世紀の末頃につくられたオーストラリアのドキュメンタリー映画をこ覧いただくことができます。
 
オーストラリアパンフレット9私たちはお互いに
助け合う隣人同士です

EXPO'70のオーストラリア館の展示は、過去の海外におけるオーストラリアの展示の中で最大のものです。これはオーストラリア政府が、日本との深まりつつある関係を、重要視していることのあらわれです。日豪間のより緊密な結びつきは、お互いの友好精神によって、次第に盛り上ってきました。
 私たちは、お互いによき隣人です。それは私たちがお互いにそれを求め、また、実り多い協力関係によって、お互いに利益を得ることができるからです。私たちは国際関係において、重要な点で共通の利害を持っております。経済面でも、多くの点で、補い合う関係にあります。こうしたお互いの関係の確固たる基盤の上で、私たちはより強力な結びつきを得るために努力しております。日豪通商協定が1957年に締結されてから、お互いの貿易高は急激に増加しました。10年後の1967年には、日本はオーストラリアの最大のお得意先となり、オーストラリアもまた、日本製品の主要買付国となりました。貿易総額において、オーストラリアは、今や米国に次いで、日本の最も重要な取引国となっております。
 両国間の人的交流も着々と発展しております。日豪ならびに豪日経済協同委員会の年次会合は、経済や貿易の面での、諸問題の解決や、相互理解の促進に、重要な役割を果たしております。1968年には、2万人以上のオーストラリアの旅行者が日本を訪れました。オーストラリア人は、日本に強い関心を寄せております。桜の国というロマンティックなイメージは、より正確な現代日本の姿に置きかえられつつあります。日本経済の奇跡は、オーストラリア人によく知られています。オーストラリア人は、日本人の勤勉な国民性と、高度の技術水準を高く評価しております。
 ところで、多くの日本人は、依然としてオーストラリアを、牧羊、カンガルー、広大な土地を持つ国、というふうに考えております。そこでEXPO'70では、オーストラリアの現在の真の姿、つまり、国民の80パーセント
が、繁栄する近代都市に生活し、働いている国であることをお見せします。この展示を通して、オーストラリアもまた、経済的飛躍を遂げている国であることが、お分りいただけると思います。今日のオーストラリアは、急速に発展している、高度の産業国です。同時に、世界の13の主要貿易国の一つでもあります。羊毛、小麦、鉱物、その他の第1次産品が、オーストラリアの主要輸出品目ですが、一方、12,000種におよぶ工業製品も、世界150ヵ国に輸出しているのです。
 
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