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発見されるべき新世界
ヨーロッパ共同体

European Community
"Press and Infomation"
Brussels, Rue de la Loi 200

 
T ヨーロッパ共同体
発見されるべき新世界

 
 1946年 ヨーロッパは第二次世界大戦の深い傷痕を癒していました。この昏迷のさ中に、ウインストン・チャーチルおよび西欧の指導者たちは宣言しました。“唯一の未来の救いの道は、統合されたヨーロッパを創り上げることである”と。
 1950年5月、フランスの外相ロベール・シューマンの具体的提案により、この理想は実現への一歩を踏み出しました。“希望諸国は共に一体となって、重工業、石炭、鉄鋼のヨーロッパ最初の共同体を創設して、運命を共にすることに、調印しようではないか”と。
 西ドイツ、フランス、イタリア、ベルギー、オランダ、ルクセンブルグの六ヵ国が、このシューマンの提案に参加を表明
写真:ロベール・シユーマン宣言(1950年5月9日)
 
しました。1951年、欧州石炭鉄鋼共同体(ECSC)創設条約が調印され、加盟国政府または特定の利益と結びつかない9人のメンバーからなる欧州石炭鉄鋼共同体最高委員会は、翌年よりただちに、生産物の自由な交流および労働者の働きやすい社会対策を伴う共同市場を創設しました。そして最高委貝会は、予定されていた共通規約を石炭および鉄鋼産業に直接通用しました。
 1957年、ヨーロッパの経済統一は、決定的な一歩を踏み出しました。前記の諸国は、ローマで調印された条約に基づい
写真:EECおよぴユーラトム設置のローマ条約調印(1957年3月25日)
 
て、あらゆる生産物と役務のための共同市場を順次に形成してゆく欧州経済共同体(EEC)を設立、同時に平和利用のみのための原子力研究所と原子力産業の欧州原子力共同体(EURATOM)を設立しました。
 このようにして、かつては相争い、時には友好関係を持った六ヵ国の2億に近い人々にとって、ヨーロッパ共同体は、各人が日常生活の中で、その存在を感ぜずにはいられぬ経済的、社会的連帯を作り上げたのです。
 この共同市場は、現代の要請に応えるものです。すなわち、大衆の生活条件の進歩、発展、改善の要求と可能性に応えるものです。共同市場は、単に生産物および人間の自由交流地域をつくるのみではなく、経済、社会発展を共同組織するものです。
写真:ハーグの頂上会談(1969年12月1日)
 
 この経済的、社会的な野心に加えて、ヨーロッパ共同体は、政治的な要素も有しています。すなわち共同体が、ヨーロッパが世界の出来事の中で、自らにふさわしい地位を再びとりもどすことを可能にすることです。そして共同体内の争いの原因を排除することによって、世界平和に頁献する大きな要素を構成します。
 共同体内のあらゆる地域と加盟国の固有の要求を決して見失うことなく、しかもヨーロッパ共通の利益という立場でものごとを決定すること、これが新たに設けられた制度の基盤であり、かくも無謀で大胆に見えた企ての成功の鍵です。
 ヨーロッパをつくること、一つのヨーロッパ、進歩してやまぬ世界、新たな世界、それは過去の反映や、他国のモデルの模倣をはるかに超越する世界でしょう。
 
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