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タンザニアパンフレット10タンザニアの経済
 タンザニアは独立以来、めざましい経済発展をとげております。1967年2月に採決された「アルーシャ宣言」では、農業開発こそタンザニア発展の基礎となるものであるとの考えが強調されておりますし、同時にまた、近代的な工業も、タンザニア経済の発展のためには欠くことのできないものであることも指摘されております。
 独立当時、タンザニアには工業と呼ぶようなものはほとんど見られず国民の大多数のものは農業に従事していたのです。しかし、今日では、セメント、繊維製品、鉄鋼、あるいはタイヤなどの工業開発や、現在は外国から輸入している各種商品をタンザニア国内で生産することが重要視されるようになっているのです。
 ところで、タンザニアはもともと農業国ですから、農業は今日でも重要な産業のひとつとなっております。
 タンザニアの農業は、自給自足的なものと、換金作物の栽培、およびプランテーション農業というように大別することができます。
 そして、これらの農業は全体として、急速に発展しており、たとえば自給自足農業は、農業生産の全体のおよそ60パーセントを占め、換金作
物の生産は全体の32〜40パーセントとなっております。タンザニア農業では、換金作物の栽培が特に重要であると考えられており、中でも綿花コーヒー、およびサイザル麻などの換金作物は最も重要なものであると考えられております。
 そして、たとえば綿花のばあいはその大部分がアフリカ人の農家によって栽培され、今日では年間およそ8万トンの綿花が生産されているのですが、1980年までには19万トンにまで増産できることが期待されているのです。
 換金作物として2番目に重要なコーヒーは、タンザニアの輸出額の12パーセントを占め、生産量のおよそ66パーセントは、アフリカ人農家やアフリカ人の協同組合農場によって生産されたものであり、現在ではおよそ3万トンの生産量ですが、1980年までには4万8,000トンにまで増産されることが考えられているのです。
 そのほか、タンザニアで生産されている換金作物としては、紅茶、タバコ、小麦、除虫菊、砂糖、大豆、カシューナッツなどがありますが、中でもタンザニアでは1974年までに小麦を完全に自給できるだけ生産しようと計画しているのです。
 タンザニアでは、まったく新たな大規模農業の試みとして「国営農場」が作られようとしており、これから5年間のうちに、小麦、米、畜産、
採油用種子などの生産を目的とした29の国営農場が建設される予定になっております。そして、これらの国営農場は、換金作物を生産するだけではなく、農場の周辺にいるアフリカ人農民に対して、新しい作物や農業技術をとウ入れるための指導をも行なうことが期待されているのです。
タンザニアパンフレット11
ゴロンゴロ火山の犀(さい) 国立公園と観光客
民芸品・手造りの装身具 国立公園と狩猟場−
いろんな動物が棲息する
 このほか、タンザニアでは森林資源も重要な産業であり、1966年には186万ポンドの木材が生産されたのです。さらに、漁業は、2万平方マイルの湖と500マイルの海岸線から9万3,000トンの漁獲高をあげることができたのです。
 さらに、タンザニアでは、牧畜も急速に発展しており、今日では1,000万頭以上の牛と、500万頭の山羊、および、およそ300万頭の羊が飼育されているのです。
 
o貿易
 先に述べた「アルーシャ宣言」に従って、タンザニア政府は、「国営貿易公社」を創設し、それまで個人的企業や外国の貿易会社などが行なっていた輸入業務と国内の卸売業務をほとんどすべて公社に行なわせるようになったのです。
タンザニアパンフレット12 タンザニアは独立して以来、東ドイツ、ユーゴスラビア、チェコスロバキア、ブルンディ、ポーランド、ブルガリア、アラブ連合、ハンガリー、および中共、ソ連とのあいだに貿易協定を結んでいるのです。
 またタンザニアは、すでに「関税と貿易に関する一般協定」と「イギリス連邦の特恵貿易」のメンバーとなっており、広く世界の諸国とのあいだに貿易関係を持つように努力しています。
 タンザニアは、また「ヨーロッパ経済共同体」(EEC)にも準加盟しています。
 
o銀行/通貨
 タンザニアには、1966年の法律によって創立された「タンザニア銀行」という中央線行があります。この銀行は、貨幣価値の安定をはかって、タンザニアの国民経済を急速に発展させるために必要な信用取引と為替管理を積極的に行なう役割を与えられているのです。
 すなわち、タンザニア銀行は、通貨を発行し、信用取引を調整し、外国為替を管理するなどの任務があるのです。
 1967年2月に銀行の国有化が行なわれる以前、タンザニアには12の商業銀行があり、そのうちの3つの銀行はロンドンに本店を持つ大銀行であり、また、協同組合銀行もありましたが、これらの銀行は1967年2月6日に国有化されました。
 それらの国有化された銀行の各種業務や資産などを引き継ぐために、タル・エス・サラーム市に本店を持つ国立商業銀行が設立され、タンザニア全国に支店網をひろげています。
 このほかに、国立協同組合銀行があり、この銀行は、モシ、アルーシャ、ムワンザなどの農業の発達している地域に支店を持ち、主に農業金融を行なっています。
 
o鉱業
 タンザニアの鉱産物の輸出額は全輸出額のおよそ12パーセント強を占めており、その60パーセント以上はムワディにあるウィリアムソン鉱山から産出されるダイアモンドが占めております。ダイアモンドの次に重要な輸出向けの鉱物としては金があり、ガイタ鉱山を中心として、現在では主にタンザニアの南西部地方において採掘が行なわれておりますが地下資源の調査結果によれば、全国的に金の埋蔵が確認されており、今後の発堀が期待されています。
 さらにタンザニアでは、沿岸地域において石油資源の探査が行なわれており、近い将来石油の採掘が行なわれることは十分予測されることとされています。
 
o交通/運輪/通信
 タンザニアでは航空事業は最も発達しています。すなわち首都のタル・エス・サラームには国際空港があり、東アフリカ各国への航空機乗り入れの玄関となって、そこでは「東アフリカ航空」がVC10型のジェット機によってサービスを行なっています。タンザニアは「東アフリカ航空」によって、西ヨーロッパと東ヨーロッパ各国への航空路を確保しているだけでなく、「フランス航空」や「アラブ連合航空」、「エチオピア航空」などの外国系航空会社にも空港施設を提供しています。さらに「東アフリカ航空」は東アフリカの主要都市を結ぶローカル線の営業にも従事しているのです。
 航空事業とは別に、鉄道綱も発達しており、工業用の原材料を産出する地域とダル・エス・サラームの工業地帯を結ぶ鉄道が敷かれています。すなわち、そのひとつはダル・エス・サラームと、タンガニィカ湖畔のキゴマとを結ぶ鉄道です。このほかにも、タンザニアとザンビアとを結んでダル・エス・サラーム港を利用して、輸出を促進する目的をもった「タンザニア・ザンビア鉄道」の建設が行なわれています。この鉄道はタンザニアの南部を貫いていますがこれが完成したときには、この地方の地下資源の開発は急速にすすむものと期待されています。
 いっぽう、道路網も着々整備されており、その最大のものは、タンザニア中部と南部を通ってケニアにいたる幹線道路であり、このような道路は、「東アフリカ共同体」の下部機関のひとつである「東アフリカ鉄道」という国際機関によって管理、運営されているのです。さらに、タンザニアの郵便、電信事業も「東アフリカ共同体」のもとで管理、運営されており、東アフリカ全体をカバーしています。
 
タンザニアパンフレット13o協同組合活動
 タンザニアにおいては、アフリカで最も盛んに協同組合の活動が行なわれています。
 すなわち、タンザニアでは年間輸出額のおよそ49パーセントに相当する2,750万ポンドを取扱っており、そのため、タンザニア政府は協同組合の活動にきわめて強い関心を払っています。たとえば、通商・協同組合大臣は、独立直後の閣議においてつぎのように述べております。『われわれは、来たるべき5ヵ年のうちに協同組合の加入会員の数を2倍にしたいと考えている(これは、すでに達成された)。そして、1970年までに、サイザル麻と紅茶をのぞいたすべての農産物を、生産者自身によって販売するようにしたい。さらに今後5年間のうちに、協同組合による販売総額を30〜40パーセント増加させ、その利益も10パーセントはふやしたいと思っている。』
 今日、タンザニアにはおよそ1,616の協同組合があり、およそ50万の会員がそれに加入し、その90パーセントはコーヒーと綿花の栽培農民なのです。
 タンザニアで最初の協同組合は、1932−33年度に設立された「キリマンジャロ原住民協同組合連合会」でこの結果、アラビカ種のコーヒー栽培が大いに促進されたのです。その後、この協同組合の加入者(農民)は3,300人から15,500人へ、その取扱うコーヒーの量も最初はわずか40トン程度にすぎなかったものが1,070トンへとそれぞれ増加し、1966年には16,730トンものコーヒーを、この組合だけで販売するようになったのです。
 さらに、1936年には「ヌゴニ・マテンゴ販売協同組合連合会」が結成され、この協同組合に加入した農民たちは1950年代には120トンものタバコを生産するという実績をあげたのです。
 また、1936年には「ブグフィ・コーヒー協同組合」が創立され、1957年には5つの協同組合を統合して連合会を結成し、タバコやコーヒーなどの生産を飛躍的に拡大しようと努力をつづけているのです。
 このように、タンザニアの協同組合活動は、第2次大戦以前に発足したのではありますが、大戦後も、協同組合活動は活発にすすめられてきたのです。
 すなわち1949年には、南部の高原地帯では最初の協同組合として「ムワカレリ・コーヒー生産者組合」と、10の協同組合を傘下におさめた「ルングウェ・アフリカ人協同組合連合会」がそれぞれ設立され、翌1950年には、48の協同組合を統合して「ブコバ原住民協同組合連合会」が創立きれました。
 その後、ビクトリア湖周辺の綿花栽培農民たちのあいだでも協同組合運動への関心が高まり、かれらは「湖畔地方生産者組合」を結成するにいたったのですが、この組合は、今日の東アフリカで最大の協同組合組組織であるといわれている「ビクトリア協同組合総連合」の母体となったのです。
 
o工業
 タンザニアは、その国民所得のおよそ95パーセントが農業から生みだされるというように典型的な農業国なのですが、最近では、失業問題や外国貿易の不均衡を是正するなどの必要から、工業化に対しても多くの努力がはらわれております。 すなわち、「アルーシャ宣言」によって、タンザニアは近い将来、その土地、地下資源、交通、運輸、銀行、外国貿易などを政府または公共機関を通してタンザニア国民自身の手で所有、管理されねばならぬことが明らかにされたのです。
 しかし、この方策は、私企業を排除するというものではなく、政府が工業投資の中心となって、私企業は政府の手がおよばない部門への投資を行なうということを意味しているのです。
 今日、タンザニアには多種多様な工業が存在していますが、タンザニアの工業も、他の開発途上の国々の場合とおなじように、4つの段階を経て発展しつつあるのです。
 第1の段階とは、たとえば、タンザニア国内で栽培されるサイザル麻の葉を加工して繊維を生産するというような、国内や外国向けの農産物加工を目的とした工業です。この種の加工工業には、サイザル麻のほかにも操綿工業などもあります。さらに、チャガランド、モシ、アルーシャ、およびブコバなどの地域で栽培されるコーヒーの加工(精選、焙煎冷却、炒豆)や、精米、搾油工業なども広く普及しています。
 第2段階の工業としては、主として換金作物の収穫のために必要な機材を製造するものがあり、その中には各種農器具とその部分品やあるいは自転車や自動車の部分品を製造するものも含まれているのです。
 第3と第4段階に属する工業としては、1966年に生産を開始したワゾ丘陵にある「タンザニア・ポートランド・セメント工場」や、タンガおよび東部沿岸地域にある大規模なサイザル麻の加工工場があり、さらにダル・エス・サラーム市やモロゴロ市の周辺にあるタバコ工場なども注目すべき工業のひとつなのです。
 このような大規模工業とは別に、タンザニアには、たとえば石材加工とか塩乾魚加工、あるいは製塩業などのようを小規模な産業も依然として数多く存在しています。
 このほかに、ごく最近になって建設されたダル・エス・サラーム市の繊維工場は、およそ3,000人以上もの多数の労働者を雇用するという点で注目しなければなりませんし、ムワンザ市にある繊維工場では綿布を
タンザニアパンフレット14
農産物、ココナッツその他
民芸品の彫刻
生産するなど、今後の発展が期待きれております。
 なお、自動車についていえば、ダル・エス・サラーム市には、自動車組立工場がありますが、タンザニア国内で利用される自動車の大部分は輸入に依存しています。この中には西ドイツやフランスなどの自動車とともに、日本からのトヨタやダットサンなどの自動車も数多く輸入されております。
 これまでに、タンザニアの工業発展の状況を概略的に説明してきたのですが、限られた紙数でタンザニアの工業について、その全体像を明らかにすることは非常に難しいことといわなければなりません。
 しかし、ただひとつ、最後に述べておかなければをらないことは、タンザニア政府は外国の投資家との協力によって工業化を推進したいと考えているということなのです。
 
o電力
 タンザニアの電力は「タンザニア電力供給会社」によって供給されており、この会社の所有する最大の発電所は、タンガ州にあるパンガニ滝を利用している「パンガニ発電所」です。このほか、最近およそ4,700万ポンドの資金を投じて建設された「ニュムバ・ヤ・ムング・ダム」は東アフリカ最大の人造湖であり、その流水は発電はもとより、農業用水や漁業にも利用されるという多目的ダムなのです。
 
o労働力
 タンザニアでは、総人口1,200万のうちのおよそ600万人は成人であり、その中の50万人が賃金労働者であるにすぎず、労働力人口の圧倒的多数のものは農業に従事しているのです。タンザニアの最低賃金は法律によって規定されており、「労働争議調停法」にもとづいて職権による紛争の調停が行なわれるのです。そして、このような法律による和解の手続きを受け入れない場合には、労働者例のストライキも、使用者側のロックアウトもすべて非合法(法律違反)なものであると認定されてしまうのです。
 なお、1964年には、それまでの13の労働組合は法律によって解散させられて、新たに「タンダニーカ労働者民族同盟」が設立されました。そして1967年現在、およそ23万8,600人の労働者が加入しているのです。
 
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