EXPO '70  スカンジナビア パンフレット EXPO '70 パンフレットへ戻る
スカンジナビア (パンフレットサイズ 約25%)
 
(1) (2) (3) (4) (5) (6) (7)
スカンジナビア
 国際間の協力はここ20年間の発展の鍵でした。その代表的な例が国連です。それに加えて、世界各地に地域別グループが作られて、民族主義や保護経済のために築かれた各国間の壁を取りのぞこうとする努力がなされています。いわゆるスカンジナビアとよばれる北欧5ヶ国、デンマーク、フィンランド、アイスランド、ノルウェー、スウェーデンも一つのグループをつくりました。
5種の十字国旗−−−スカンジナビア協同体の象徴

 この協力は効果がありました。この組織の形はかなり自由なものでしたが−−−足りないのは事務局です−−−実際には他の同様の協力組織よりは具体的な成果を生みました。事実、スカンジナビアの国々を一つの単位とみなすことが正しいとされてきました。
 しかし、ここに至った過程は簡単に説明できるものではなく、紛争と対立の歴史的背景にてらして見なければなりません。この地域での権力争いは主としてバルト海の支配権で、19世紀のはじめまでつづきました。それからの一世紀間北欧に一つの政治パターンがありました。フィンランドは、700年間はスウェーデン王国の一部でしたが、ロシヤ皇帝の支配下で自治公国となり、ノルウェーは前にデンマークと合併していたのが、スウェーデンとの連合になりました。離れ島のアイスランドは、長い間ノルウェー領でしたが、デンマーク王国にはいりました。19世紀のおわりから20世紀にかけて、独立への努力はアイスランド、フィンランド、ノルウェーで、日増しに強くなっていきました。同時に、スカンジナビヤ諸国の人々が、すべて仲よくしなければならないということを強く主張しはじめ、ここではじめて近代的で意識的な北欧協力の要望が発展したのです。通貨連合(のちに廃されましたが)が、1870年代に結成され、法律を同等に調整する仕事もこの時着手されました。1905年にスウェーデン、ノルウェーの連合が解消されました。1917年にはフィンランドがロシアの支配から脱して、主権国家となり、1944年にはデンマーク、アイスランドの君主連合が解消されました。そしてスカンジナビヤでの現在の政治パターン−−−5つの平等な独立している国−−−が現実となりました。これこそ戦後の協力の基盤なのであります。
 いうまでもなく5ケ国の間には、地理、気候、経済、言語などでは、大きな差があります。大ていのフィンランド人は他の北欧人の解らない言葉を話します。外交政策からみますと、デンマーク、ノルウェー、アイスランドはNATOに加入しており、フィンランド、スウェーデンは中立の立場をとっています。このように種々の点でちがっているにもかかわらず、第二次大戦後に大幅の進展をしたスカンジナビア諸国協力の特徴は、その実用性だといえましょう。政府機関の勧告がなくても自発的に、5ケ国のあらゆる社会領域には、連絡網が張りめぐらされました。研究者たちは会合して、研究成果のアイディアや資料を交換し合い、町は他国の町と互いに「姉妹都市」の関係を結び、企業は生産や取引について協力し合っています。また、スカンジナビヤ内の旅行者がぶえています。しかし、この自発的な協力は、それと平行した政府など国家機関の協力の上に立脚していることはいうまでもありません。これらすべての処置は、スカンジナビアの国々によって結ばれた協定で認可しているもので、全く超国家的特徴をもつものではありません。
 各国の総理大臣も他の大臣も、年に何回か会談して、いろいろの協力計画を討議しています。スカンジナビア諸国は、国際的な組織の活動でも歩調をあわせようと努力し、外務大臣の定例会での議事は、スカンジナビア内部の問題だけではなく、国際間題のトピックスも広く討議きれます。
 協力の中央機関は「北欧会議」とよばれ、1952年に設立されました。これは5ケ国の国会と政府の間の協議機関で、会議は政府に助言することしかできません。しかし過去の経験からみると、会議の助言は相当権威のあるもので、原則として政府はその助言や要請を大へん熱心に実現しようと努力します。このようにして、近年盛んに実現される一連の重大協同企画の背後にはこの会議が存在していたのです。
 社会条件、労働市場、登録制などについて、スカンジナビア国籍ともいうべきものができはじめています。スカンジナビア諸国を旅行するとき、スカンジナビア国籍を持つものは旅券義務は全くありません。行き先で働きたければ、特別の手続きも居住許可も必要ありません。社会援助はその国の国民と全く同じに扱われます。
 このように共通の労働市場がつくられましたので、スカンジナビアの何十万もの労働者がとなりの国へ移り、収入と職を得ました。多くの合同研究所や訓練所では、訓練のための共通の資料を合理的に利用し、また先生や生徒の交換が自由になりました。文化面では、大きな協力が見られますが、ラジオやテレビの分野はその一例です。 その上、北欧会議の勧告によって、数多くの協力委貝会、協議会や多くの調査事業が始められました。例をあげると、水路の保護とか、大気汚染や水質の問題、殺虫剤のコントロール、その他についてであります。
 形体上では、国境線によって分かれてはいますが、ある場所では、国境線の両側が地理的につながった地域で、共通の関心が強く、私企業の間でも地方当局の間でも、緊密な協力が展開きれてきました。この協力は、例えば、道路建設、産業活動の拡大、観光事業などについてです。
 一番に興味のあるのは、おそらく経済協力でありましょう。もと計画されたスカンジナビア経済連合に、EFTA(欧洲由由貿易連合)がとつて代わりました。EFTAには、スウェーデン、デンマーク、ノルウェーが加入しているばかりでなく、フィンランドが準加入しています。他のメンバー国は、イギリス、スイス、オーストリヤ、ポルトガルです。 4つのスカンジナビア加盟国は、関税廃止で貿易量の増大をはかりましたが、ヨーロッパでは、今、市場と政情の不安定があるために、EFTAの統合だけでは不十分になってきました。そこで現在、スカンジナビア諸国の間では、経済協力機構をつくることが考えられています。いわゆる「ノルデック・プラン」ですが、これが実現すれば、完全関税同盟,共通通商政策,合同金融機構,財政と産業の政策や教育と研究七関する協力が、出現することでありましょう。
(注)スカンジナビア諸国についての統計・・・・・・出典
   国連−統計年鑑1968年
   国際通貨基金−国際金融統計
   北欧会議−北欧統計年鑑1968年
   北欧諸国の統計報告−社会保障1966/67年
 
スカンジナビア諸国についての統計 デンマーク フィンランド アイスランド ノルウェー スウェーデン
1.人口1967牟(単位100万人) 4.9 4.7 0.2 3.8 7.9
2.面積(1平方キロメートル) 43,070 33,7000 103,000 324,220 449,800
3.人口密度1967年(1平方キロ当り) 112 14 2 12 17
4.国民総生産(GNP)1967年(10億ドル) 11.3 7.1 0.4 8.3 23.9
5.GNPの1人当り 1967年(ドル) 2,300 1,520 2,000 2,180 3,100
6.輸出1968年(100万ドル) 2,640.0 1,630.0 82.0 1,940.0 4,940.0
7.輸入1968年(100万ドル) 3,220.0 1,595.0 138.0 2,700.0 5,100.0
8.経常国際収支1968年(100万ドル) −237.0 +77.0 −55.0 +1,142.0 −66.0
9.輸出のGNPに対するパーセンテージ 1967年 20.8 17.5 24.2 21.0 18.9
10.工業労働者の雇用総人口に対するパーセンテージ 1969年8月 25 25 24 26.2 23
11.社会保障経費1人当り 1967年(ドル) 341 198 205 268 490
12.日刊新聞数−人口1,000人当りの発行部数1967年 353※※ 391※※※ 430 384 543
13.テレビ受信機1台当りの人口 1967年末※※※※ 4.15 5.22 5.2 5.74 3.49
14.私有自動車1台当りの人口 1967年 5.66 8.52 2.9 6.75 4.00
両替率は、報告年の年末の率による
)1967年 ※※)新聞は週5回以上発刊のもの ※※※)新聞は週4回以上発刊のもの ※※※※)発行ライセンス数による 
 
 オスロのノルウェー国会本会議場における北欧会議の模様  スカンジナビアの住宅計画は、環境を保護した住宅地域をつくることを日的としています。居住条件はいろいろに違っていても、物質的および文化的要求に対しては、サービスが統一されています。ヘルシンキ郊外のタピオラ。
 
 スカンジナビア、エアラインズ・システム
−SAS−は、デンマーク、ノルウェー、スウェーデンの北欧協同実践の証拠の一つです。コペンハーゲン、カストルップ空港。
 スカンジナビアでは、子供であるということは一つの特権です。オスロー郊外で撮ったこの写真が示すように、自然は気候と広い場所とを提供します。民主主義と自由は基本的な宝です。社会保障と社会事情は経済的貧困をほとんど除きましたが、子供への新しい理解については問題や不安な点がまだ残っています。
 
スカンジナビア   (1) (2) (3) (4) (5) (6) (7)

トップへ戻る

線
Copyright © 2003 Hiroshi Masuda


inserted by FC2 system