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スウェーデン 「この国は、エゾマツのスカートをはき、岩山のシャツを着ている。」 セルマ・ラーゲルレーフの童話の主人公でガチョウの背に乗ったニルス・ホルゲルソンは、スウェーデンの地形をこのように簡潔にいい現わしました。今日、羽田から17時間でアーランダに降りたつ空の旅行者は、この描写が実によく当っていると思うでしよう。このスカートは「ミニ」ではありません。これはスウェーデンの主なる産業の資源である森林で、国土の半分をおおっています。このシャツには、鉱脈が織り込まれていて、この国の繁栄の活力となっております。これに水力発電を加えて、まさに「三位一体」となるのです。 エゾマツ、モミ、シラカバ、カシなどは、9世紀にスウェーデンが独立して王国となったそのずっと以前から、建築材料や燃料として使われてきました。この国の銅は、世界最古の株式会社「ストーラ」の基確をつくりました。この会社はフビライ汗が日本を征服しようとした年よりも、数年前に設立きれたものであります。鉄は銅よりももっと重要な資源となりました。農奴のない社会においては、急流が水車をまわして、鉱夫のハンマーになったり農夫の車輪になったりして、地主たちにサービスしました。 産業革命は、スウェーデンの工業力を一層効果的にしたばかりでなく、これまでにないほど外向的にしました。世界の顧客は、この北の果の国の重心をさらに北極の方へと押し上げました。松ヤニの香高い荷を積み込みに、はるか遠方から来た船が白夜の太陽に導かれて、ボスニヤ湾に注ぐ諸川の河口をしづかにのぼっていきました。また別の船の船艙は、北極圏の桟橋から鉱石を積み込まれてガラガラと音をたてました。 これらは今でもこの国の経済に重要な役割をしています。もっともこの国の経済は、だんだんに外国との貿易に依存してきましたが、1968年には、人口800万のスウェーデン人が世界貿易の2.5%をしめるほどになりました。ゆたかな天然資源を基礎とする産業が、国民の生活水準をヨーロッパの第一位にまで引き上げる力となったのです。かつてはこの国もヨーロッパ大陸の他の国と同じく貧乏でした。 スウェーデンは産業の分野で、他の国のなし得なかった発展をなしとげました。最近、木材からは伝統的な製材品だけでなく、興味ふかい一連の化学工業による誘導体製品も作られだしました。鉄は長年にわたり、時代の先端をゆく特種鋼と、だんだん複雑かつ広範囲になった技術によって補われて進歩してきました。たとえば日本のカメラ工業に対してわれわれは敬意を表してはおりますか、宇宙旅行にはじめて使われたカメラは、スウェーデンのゴーテンブルクて作られたのてす。 これらの新しい科学と技術の進歩は、スウェーデンに国際市場におけるあたらしい立ち場を提供してくれました。これには、高圧送電、電子機器および遠隔通信、薬品、コムプレッサー、事務機械、分離機、自動車および飛行機、高度に自動化された造船工業などが含まれます。 1世紀半のあいだ戦争のなかったスウェーデンは、国力を国内の社会機構改善のために注ぐことかできました。その成果が世界の注目を引き、今では海外の人々がこの囲を訪れる動機の一つとなっています。ある意味でこうして得た経験は−−−社会的、行政的、技術的−−−国境をこえて発展途上国に影響をあたえております。
労働市場では、相互尊重と、政府の調整機関への信頼の空気がゆきわたっており、産業界の平穏が破られることはきわめて稀です。 政治面での民主主義は、経済の平等化と平行し、国際的観点から見ると長足の進歩をなしとげてきました。ほとんどのスウェーデン人は、胎内から墓場まで国民の福祉をカバーする社会制度の保護を受けています。その代価を支払うために世界でも最も高率の税金を課するという結果は、多くの人に喜んでもらえません。また同じように、強力な国防力のためにも出費を余儀なくしなければならないのだと云えましよう。 社会責任の一部として今は誰しも絶対に必要だと思うことは、無料で教育が受けられるようにすることです。そうすれば、他の点ではじめがどうあろうと個人の素質の最大限を発揮させることが出来ます。この特典が産業界で重宝がられているのは、これが激しく移りかわる世の中で、労働生活の上で、個人を出来るだけよい地位につけるため、社会の末端サービスとなるからです。 |
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Copyright © 2003 Hiroshi Masuda